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※皆殺しルートのネタバレあり

真・女神転生IV FINALを、絆ルートに続き、皆殺しルートもクリア。展開としては好きな部類でしたが、絆ルートよりも疑問に思う部分も大きかった。皆殺しに至る主人公・ナナシの動機、心境が謎なんです。

ある選択の結果、ナナシは仲間全員を手にかけることになりますが、その動機を想像するのが難しい。というのも、ナナシは無口主人公なので何を思うかはプレイヤー次第ではあるのですが、基本的に身近な仲間には恵まれていて、彼らを殺す動機が薄いように思えます。

加えて、今作では選択肢による属性値がNeutral-LightとNeutral-Darkの2種類存在していますが(N-L選択肢は主に仲間を気遣う・思いやるもの、N-D選択肢は仲間を省みないものが多い)、どのルートへ進むかは最後の分岐での選択にかかっていて、属性値によるルート決定は起こりません(どちらかに偏った状態で正反対のルートを選ぶとペナルティはある)。つまり、仲間を大事にする発言を繰り返していても、皆殺しを選択するナナシという人物像もありえることになってしまう。選択次第では、ともするとナナシという人格がとっ散らかって一貫性のないものに思えて、いまいち理解・共感しにくいのです。

そこで、仮にナナシをある特定のパーソナリティを持った人物だと仮定して、ストーリー上で疑問に思った行動や動機について、一本筋が通ったキャラクターとして考えてみてはどうだろうかと思いました。

■仮定するパーソナリティについて

ある特定のパーソナリティとは、いわゆる「サイコパス」。定義や用語に違いがある点もありますが、サイコパス、反社会性人格障害(反社会性パーソナリティ障害)と呼ばれる人々は大まかに次のような特徴を持っています。社会的な規範を守らない。責任を取らない。病的に嘘をつく。自分の利益・楽しみのために人を騙す、利用する。かつ、良心の呵責や罪悪感に全く悩まされない。更に、自分がそういったまるで血の通わない人物であるということを上手く隠すことができる。つまり、利他的な行動や信頼によって成り立っている人間社会にとっては、異質で、他者を食い物にする危険な存在と言えます。

※精神障害の分類のスタンダードのひとつ、DSM-IVでは、18歳未満であれば反社会性人格障害の診断には当てはまりません。また、キャラクターをこのような人格だと決めつけてしまうことにはかなり慎重になるべきなので、ここでは「サイコパス的な傾向」程度の意味として考えてもらえれば。

一般的に連想されるような、凶悪な犯罪を起こすサイコパスは別として、大抵のサイコパスはとても映画やドラマに出てくるような悪人には見えないことがほとんど。むしろ、彼らは人を惹きつけるような魅力的な人物であることも多々あります(そう言えば、クリシュナがナナシについて、人間社会に紛れ込んだ異分子といったような比喩を用いていましたが、サイコパスの表現としては言い得て妙)。しかし、彼らは常にスリリングな刺激を求めていて、その欲求を満たすためだけに常人では考えつかない行動に及び、それはしばしば他人を傷つけるという結果になることを念頭に置いておく必要があります。

続いて、作中の行動・動機を「サイコパス(的傾向)だった」と仮定して、いくつか考えてみたいと思います。

■皆殺しルート分岐後

まず、皆殺しルートでの最も衝撃的なシーンのひとつだと思われる、それまで自分に信頼を寄せていた仲間と袂を分かち、彼らを皆殺しにするイベントについて。ナナシはなぜ仲間を裏切ったのか、その時何を考えていたのか。

作中では周囲の人間から非難されることこそあれ、仲間たちは基本的にナナシを信頼していたことが伺えます。――というか、N-D選択肢を選んでも、都合よくN-Lに解釈されることもしばしば。酷い言葉をぶつけても、それによって仲間たちが瓦解することはありません(多分にストーリー進行上の都合でしょうが、ここではそれも含めて考えてみたいと思います)。彼らとの絆、時に盲目的とも取れる信頼関係を前提にすると、殺す理由がないか、例え目的のためとはいえ殺すことを躊躇するのが人としては普通です。

しかし、ここでナナシがサイコパス(的)だったという仮定を元に考えてみると、割に無理なくその動機が理解できます。ただ単に、ダグザの言う世界を見てみたい、人間を超えてみたい。「それだけ」のために、自分を信じている仲間を裏切り殺すことに、躊躇することも気が咎めることもない。人が苦しむのを見るのが非常に刺激的だからそうするまで、という動機は十分ありえます。

それだけに留まらず、今まで仲間(東京の人々も)から信頼を勝ち得てきたのも、ナナシがそう振舞っていただけ(しかもかなり効果的に)だとしたら。幼馴染だから、同じ境遇だから、助けてくれたから、アキラの生まれ変わりだから。そういうものをちらつかせながら巧みに信頼を得て、時には同情すら誘ったかもしれない。でもそれらは全て彼の本性を隠す嘘というわけです。

信頼を得てしまえば、時々酷いことをしたとしても周りの人間は好意的に解釈してくれるでしょう(「今日は機嫌が悪いんだろう」「あの人に限って何かの間違いだ」というように)。

■ダグザのため?

ちなみに、皆殺しルートはダグザの望みがそのまま叶えられた世界ですが、それではナナシはダグザのために、仲間を裏切るような行動に及んだのか。その方がまだ幾分理解の余地があるかも知れませんが、サイコパスは徹底的に利己的であるという点から考えると、ダグザのためですらない。

ダグザはYHVH以前の本来の姿に戻ることを切望していました。(方法はともかく)あくまで人間の救済にこだわり続けたクリシュナとは違い、人間がYHVHの枷から解放されることは、ダグザの最優先目的からすると「おまけ」といったところでしょう(人間が超人となることを望んでいるのは言葉の端々から伺えますが)。

だから、ダグザは何よりもまず自分の望みを叶えるために人間であるナナシを利用したわけですが、今回仮定したナナシは、そのダグザをも利用したと言えるかも知れません。本来であれば死ぬはずだったナナシを蘇らせ、力を与えて、神となった暁にはダグザは一自然現象としての姿に戻りました。新しい世界の頂点に立ったナナシの元には、もはや道具同然の人間しか残っていません(そもそもサイコパスにとっては他人は道具のようなものらしいので、実質変わりないのかも)。邪魔者はもうどこにもいない。

■シェーシャ討伐と徳川曼荼羅解除

次に、オーディンの奸計によってクリシュナの封印を解いてしまうという、東京の人間にとって甚大な被害をもたらす行為の後に取った行動とその動機を考えてみます。ナナシは多神連合の切り札であるシェーシャを討伐し、東京の人外ハンターを無力化した徳川曼荼羅の結界を解いています。これらはナナシの思惑と矛盾した行動なのでしょうか。

ナナシはクリシュナを復活させたことで、裏切り者の嫌疑を掛けられ、ハンター商会から出頭要請を受けてしまいます。そして、ハンター商会が彼が裏切り者でないことを証明するために命じたのがシェーシャ討伐でした。ここではナナシはどのような態度を取ったのか。

今回仮定したナナシからすると、信頼回復のチャンスを与えてくれるとは、あまりにも脇が甘すぎる。自分はあくまでオーディンにそそのかされた可哀想な子供で、嫌疑を晴らすためにも自ら進んでシェーシャ討伐を引き受けるというポーズを取ったのではないでしょうか。そして無事シェーシャを討伐したことで、ひとまず裏切り者のそしりを免れることができた。

また、徳川曼荼羅を解除することで、悪魔召喚が不可能という致命的な状況から人外ハンターを救い、ナナシは東京の人間から「期待の新星」とまで呼ばれ始めます。人々の熱狂とは対照的に、この時も人々を救うためではなく、それが信頼されるには一番いい方法だと思ってやったまで。それまでとは打って変わって、手のひら返してナナシを賞賛する人々を腹の底では馬鹿にしつつ、皆の期待に応える新たな救世主として振る舞ったのかもしれません。

■人間か、人非人か

ところで、このような「人でなし」とも言える心理や行動は、皆殺しルートでナナシと敵対する仲間たち、東京の人間たちが良くも悪くも「人間らしい」ことと綺麗な対照形を描いています。一方は、他者を信頼し、他者との絆の中に生きている反面、容易く他人に影響され、自分たちの価値観を揺るがす者は寄ってたかって攻撃する「人間」。もう一方は、誰にも振り回されることはないが、ただ自分の利益を追い求め、自分以外がどうなっても構わないという「人非人」。絆ルートが「人間」の道とすると、皆殺しルートは「人間でない者」の道に思えます。

作中、皆を裏切ったことを口汚く罵られたり、ノゾミやフジワラから「(かつて東京を救うため天井の上に残った)アキラの遺志を継ぐ」ことを半ば強要、あるいは期待されるシーンがありますが、あれこそとても人間らしい考えからくるもの。死と隣り合わせの殺伐とした東京であっても、むしろそうだからこそ信頼できる相手に掛ける期待は強くなる。また、自分が過去を受け継ぎ、今が未来へと続いていると確信することは、適切な自尊感情を持つことに繋がります(自尊感情=自分に価値があると思える感情。困難な状況に直面しても、自尊感情が高いと努力することができるが、自尊感情が低いと簡単に諦めてしまう傾向がある)。つまり彼らの反応は、「人間ならばしないことをなぜ平気でできるのか」「人間として当たり前のことを、お前はなぜしないんだ」という怒り、当惑の表れです。

しかし、思いやりや絆からくる義務感から自由な身にとっては、人間たちが重要視する絆なんてものに価値はないのです。

■おわりに

以上、ナナシがサイコパス的な傾向を持っていると仮定して、作中の動機や心境を考えてみた結果でした。よくまあ、これだけ妄想を繰り広げたなー。あと、ストーリーには他の解釈の余地もあると思うので、それはまた別に考えてみたいと思います。
ちなみに、皆殺しルートのエンディングには一種の寂寞感に似たものを覚えました。それは、神となったナナシが、刺激的なこともなく、死ぬほどに耐えがたい退屈さに飽き飽きした頃、今までの神々のように人間に困難な状況に直面しても殺される未来が見えたからかもしれません。
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